宗派

時宗と一遍上人について

ここでは、時宗とその開祖 証誠大師 一遍上人についてお話しさせていただきます。

正式な教学解説というより、圓福寺住職による、つれづれなるままの随想です。
史実や語録をもとにしながら、ところどころ私見も交えております。
興味のある方だけ、気楽にお読みください。

時 宗 の こ と

実は身近な時宗

時宗とはどのような宗派か。私たちが意識せず馴染んでいる、日常の中の時宗についてお話しします。

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時宗、、、「と、ときむね、、、?」

北条時宗の話じゃないです。「じしゅう」。
瀬戸内海の水軍で知られる河野氏出身の一遍上人を開祖とする、鎌倉仏教の宗派です。

時宗と言ってすぐにピンとくる方は、歴史好きのガチ勢か宗教史に詳しい方、またはお家の宗派が時宗か。。。
かなり限られてしまいますし、マイナーな宗派のイメージもあるかと思います。

しかし、時宗に関係のある人物や物事をご紹介すると、意外に日本の文化や歴史、そして、身の回りの物事にも、時宗に関係することが見つかります。
少しずつご紹介してみましょう。

まずは、社会科、日本史の教科書。

  • 「後醍醐天皇像」(絹本著色後醍醐天皇御像・国指定重要文化財)
    時宗の第十二代遊行上人が後醍醐天皇の又従兄弟であった関係から、時宗の本山「遊行寺(清浄光寺)」が所蔵。
  • 「鎌倉時代の武士の屋敷」として、「一遍上人絵伝」(国指定重要文化財)の一場面が使われています。

思い出していただけましたか?

次は、徳川家康。
普通は「?」。歴史ガチ勢は「はい、はい」。

家康の祖先は松平親氏。新田氏の流れで、上野国徳川(得川)郷の出身。
この人が出家して時宗僧の徳阿弥となり、旅先の三河国で松平信重にその教養と武勇を認められて娘婿になったということです。
諸説はあります。

ただ、時宗は徳川将軍家から寄進や庇護を受けており、遊行上人が全国を遊行する際には幕府から「黒印状」(幕府による通行保障)が出され、諸国通行の自由が認められ、旅先での便宜も図られたことから、その結びつきは大変強かったといえます。

ここで余談ですが、金魚の話。
金魚、です。夏の風物詩のあれ。

犬公方こと徳川綱吉公。生類憐みの令にあわせて、江戸中の金魚の数を報告させ、時宗本山、藤沢の遊行寺「放生池(ほうじょういけ)」に放させたということです。
なんで遊行寺へ?「江戸城のお堀とか大川(隅田川)じゃあかんのかい!」と思うのですが、何か将軍様も思いがあったのでしょう。
それにしても、、、江戸中の金魚を持ってこられて、修行僧たちどんな顔したんですかね。

次は、日吉丸、豊臣秀吉。

幼い頃、やんちゃすぎて預けられたのが、生まれた中村近く、萱津光明寺。時宗の寺院です。
ここでも納まりきらずに結局飛び出してしまうのですが、日吉丸がお坊さんになっていたとしたら、日本の歴史はまた違ったものになったかもしれません。

光明寺の話も諸説あるようですが、時宗は秀吉の時代に、弾圧や対立こそ無かったものの、あまり厚遇されていたわけではなさそうなことから、あながち後世の創作だけではなさそうに思えます。
圓福寺でも、それ前後の有力武将との交流は記録にありますが、秀吉時代のものはあまりありません。

ちなみに、圓福寺の行事の時には萱津光明寺のご住職もお手伝いに来てくださいますが、手土産はいつも「日吉丸」という最中。ちょっとかわいいので、ご興味ある方は是非。

そして、秀吉といえば、茶の湯の千利休。
千利休や茶道といえば禅のイメージもありますが、「千」は利休の祖父、千阿弥が由来。足利義政の同朋衆(阿弥衆。将軍に仕える芸能集団で時宗僧が中心。)であったそうです。

同朋衆(どうぼうしゅう・阿弥衆)のことを、もう少し。

鎌倉時代の末頃から、時宗の僧は武士の合戦に同行していました。原則、時宗の僧はどちらの陣営にも出入りが許され、医療や弔いなどを行っていました。

その例として、少し時代が下りますが、遊行寺境内に建つ、あまり気づく人もいない古い石碑のことをご紹介しましょう。
この石碑は、敵御方供養塔。怨親平等の碑とも呼ばれ、国指定史跡になっています。

応永二十三年(西暦1416年)の上杉氏憲と足利持氏の戦いでは、多数の死傷者が出ました。遊行寺の僧と近隣の人々は総出で、敵味方関係なく両軍の負傷者の手当を行い、戦没者の供養を行いました。
その供養塔が、「南無阿弥陀仏」と刻まれた、この古びた石碑です。

余談ですが、時宗の古い戒には「諜報活動をしてはならない」旨がありました。両軍を自由に出入りできた時宗僧ならではの戒律です。

このような経緯から、時宗僧と武将の結びつきは強まり、次第に技芸に秀でた時宗僧(僧ならびに半僧半俗の阿弥衆)が、武将の側近として仕えるようになります。

鎌倉時代の武家との結びつきに源を発し、室町時代に花開いた、いわゆる「和」の日本文化。禅とのかかわりで語られることも多いのですが、能、茶の湯、立花、水墨画など、その形成に時宗僧たちが大きな一翼を担ったことは、間違いないと思います。

そして、織田信長の話も。

信長は、念仏集団である一向宗(今の浄土真宗)を何度も弾圧しましたが、(念仏を大切にするという点で)世間で混同されることもあった時宗については、むしろ庇護しました。

上洛の際には、時宗の金蓮寺(四条道場)を何度も拠点としています。また、当圓福寺も、信長公から寺領安堵・諸役の免除を受けており、織田家家臣からの書状(熱田圓福寺文書・県指定文化財)も多く残されています。

「時宗は敵対しなかった」という理由だけでなく、能を愛し茶の湯も好んだ、文化人の信長公のことです。
能の演目の中にも遊行上人が何度も登場することから、時宗のことはよく理解されていたのでしょう。
また、足利将軍家とも深くかかわり、室町文化の一翼を担った時宗に対し、一目置かれたという側面があるのかもしれません。

(足利義教公は、富士下向のおりに圓福寺に逗留され、連歌の会も催されました。)

この他にも、「やぐらを組んで踊る盆踊りのはじまりは?」とか、「一遍上人が別府温泉の湯治を広めた?」「世界遺産の温泉と小栗判官と遊行上人」「熊野詣を庶民にも広めた一遍上人 ―― まじか、ちょっと熊野行ってくる」とか、書き始めればまだまだ続くのですが、そろそろお腹一杯の頃合いと思いますので、ここら辺にさせていただきたいと存じます。

時宗と身近な日本文化の関係、おわかりいただけたでしょうか。

歴史の中の時宗 ― その光と影

時宗と言って、すぐわかる人は少数派かもしれません。その歴史や、現在の時宗についてお話ししてみたいと思います。

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ここからは、「私」個人の感想です。
宗としての公式見解ではないことをあらかじめ申し上げておきます。
また、地域差もありますので、「ウチらの地域じゃそんなことない」というご意見もあるかと存じます。

ふーん、そんな見方もあるのか、と、ちょっとした余談ぐらいに受け取っていただけたなら幸いです。

本題です。
なぜ時宗があまり知られなくなったのか。

ひとつは、宗教として「自由」だったこと。
そしてもうひとつは、その時々の政権から保護を受けすぎたこと。

理由は大きく分けてこの二つに集約されるのではないかと思います。

ある意味の「自由」

宗祖一遍上人は、全国を遊行(行脚)して「念仏札」を配り、念仏の教えを広めました。
この念仏札には「南無阿弥陀仏 決定(けつじょう)往生 六十万人」との文字が刷られています。

一遍上人がこの札を配る時の信念は、「信不信を選ばず」。
念仏の教えを信じていようとそうでなかろうと関係ない、と。
「決定往生」とは、「あなたは既に、法蔵菩薩が阿弥陀仏になられる時の誓いにより、極楽往生が約束されている」との意味です。

極論すれば、「信じなくてもOK」「空(から)念仏上等(とまでおっしゃったかどうかはわかりませんが)」、何でもいいから「まず念仏せい」という教えです。

ちょっと聞いただけでは、何それ? の世界です。
教団を「経営」し維持するという側面からみると、宗教の禁じ手を二つもやっています。

まず、「地獄に落ちるわよ」の脅しで、信者さんを縛らない。決定往生!
さらに、「信不信を選ばず」。
ふつうなら、信じて祈りなさい、そうしなければあなたは地獄に落ちますよ、というのが定石ですが、それがありません。

また、浄土の伝統的な「門々不同八万四 為滅無明果業因」(悟りに至る法門は八万四千に及び、それぞれに異なる道がある)という偈文をまるでそのまま実践するかのように、他の教えや修行をあまり否定されませんでした。

圓福寺本堂に掲げられた偈文の柱
本堂に掲げられた偈文

(ちなみに、この偈文の後半は「利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除」――阿弥陀仏の名号はその中でも無明・煩悩の罪を断つ、鋭い剣である――と続きます。)

ちょっと上っ面だけをとらえると、時宗の教えもそうですが、信者さんとしても自由すぎます。
おせちもいいけどカレーもね(古い)、とやっても怒られません。

本当は、念仏札の最後、「六十万人」に注目して欲しいのですが、往々にして「決定往生」まででヒャッハーしちゃうんですね。

「六十万人」。これは人数のようにも見えますが、本当は次の偈の最初の文字です。

(世阿弥の謡曲「誓願寺」の中で、和泉式部の霊と一遍上人の会話という形で、「人数?」「違うよ。実はね、、、」として登場したりもします。)

六字名号一遍法 六字(南無阿弥陀仏)の名号は、ただ一つの(絶対の)法である

十界依正一遍体 (地獄から仏に至る)十界のすべて――世界も衆生も、その営みも――この名号の中にひとつである

万行離念一遍証 あらゆる行が雑念・妄念を離れて名号に帰すること、それが究極の悟り(証)である

人中上々妙好華 この悟りを得る人は、現世の泥の中に咲く美しい蓮の花である

これを説明するにはどれぐらい字数を費やせばいいのか、、、

これを私なりに受け取れば、名号(南無阿弥陀仏)の中に、すべてが一つである。
私たちが生きるこの世界も、生きる私たち自身も、日々の思いも行いもその果実も――そのすべてが、名号の中に一体である。
万行は雑念・妄念を離れて、名号の中に一つとなる。

これは、名号を単に呪文やマントラとして扱うわけでもなく、思考停止ともちょっとちがう。

私の器量では説明できそうにないので、あの映画の有名なことばを思い出してください。

Don't think, Feel.

弟子が稽古にやってくる。
師匠は弟子に稽古をつけながら諭します。
稽古の中で五感を研ぎ澄ませ、その上で、「感じろ」と教えるのです。

「考えるな、感じろ。月を(無心に)指さすように。」
「指に集中するんじゃない、さもなくばその先の栄光は得られない。」

(たまに、字幕が「指に集中しろ」と誤訳されてたりしましたが。)

結構深いなと思うのです。

練習と鍛錬を重ね、さまざまな状況を思考・分析する。
それを背景としつつも、そこから離念して、「感じろ」。
少し似ている面があるのではないでしょうか。

名号にはじまり、依正は名号と一体なり、やがて万行は離念し、名号の悟りとなる。
最初の第一歩は、空念仏でもかまわない。まずそこから始めよと。

Don't think, Feel — and Say!

時宗の教えは、入り口が広い。
そして出入りもしやすい。
信者さんを縛るような仕組みは、はなっから放棄。
教えの深さに気づいた人が残る。

これが私が申し上げた、ひとつめの理由、「自由」であったという意味です。

政権からの庇護

時宗は、公家・武将・庶民と、幅広く支持を得て信仰を集めました。
そして、前の章でも述べさせていただいたように、武将たちとの深い交流もありました。

それゆえ、室町から明治維新の直前に至るまで、その時々の政権から寺領安堵・諸役免除など手厚い保護を受け、大きな寄進もたびたびありました。
そして、明治維新以後も、廃仏毀釈の嵐の中にあってなお、多くの時宗寺院の寺領はほぼ保たれます。

極端に言えば、檀家さんゼロでも成り立ってしまった、と。
良く言えば孤高の状態。
悪く言えば信者さんとの乖離が生じてしまった。

信者さんの獲得や勢力の拡大にはそれほど熱心ではなく、先ほど述べた「自由」さゆえに、信者さんを縛る軛(くびき)もない。
鷹揚な時宗寺院から、他の宗教・宗派に信者さんが流れていってしまう。

そして、戦後の農地改革がとどめを刺します。
寺領は強制的に国の手で買い上げられ、多くの時宗寺院が窮地に立たされます。
廃寺が漸増し、その勢力は次第に縮小していきました。

歴史の荒波の中の、時宗の光と影です。

圓福寺もまた、三河にあった広大な寺領を失いました。
その是非について言及することは、宗祖の誓願偈文(発願文)の一節「善悪を説かず」から外れてしまいますので、控えます。

ただ、一つ言えることは、それでも皆さんに支えられて、千二百年の長きにわたり、今日までこの地に建ち続けていること。
感謝にたえません。

今残っている時宗寺院も、この荒波を経て、その教えを深く理解された皆さんに支えられ、歴史を紡いでいます。

人中上々妙好華
 ― お一人おひとりの蓮の花は、咲き続けております。

今に生かす時宗の教え

一遍上人が広めた時宗のお念仏について、現代の生活とのかかわりでお話ししたいと思います。

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なむあみだぶつ

なんだか辛気臭いし、声に出して唱えるのも、ちょっと気恥ずかしい。
まあ、、、そうですよね。。。
ふつうです。

今の世の中、元気よくなんまんだぶとやってるのは、法要中の和尚さんぐらいでしょうか。

科学技術が進み、人々の意識も変わった今、昔から方便として、または教団維持のしくみとして機能した、地獄・極楽の世界観を支持する人は少数派かもしれません。
まあ、、、今どき、、、そうでしょう。

反面、現代でもなお、いや、ますます、仏教の哲学的な側面は、国内外を問わず多くの人の関心を集めています。
もともと仏教徒でない人々さえも、その思想を熱心に学んでいます。

なぜ?

個人的な見解ではありますが、科学、とりわけ物理学の飛躍的な進歩が描き出す世界が、仏教の説く世界観と、どこか響き合いはじめた ―― そんな印象を受けます。

そして、受話器にカプラーとまでは言いませんが、モデムでピーヒャラヒャラとやっていた時代から、飛躍的にインターネット環境が発達した今、世界にはあらゆる情報があふれています。
ちらっと読んだ科学記事が、ちょっと前に眺めた仏教論と妙に合致する気がする。
「ん? 何だ、これは?」
そんなこともきっかけになっているのかもしれません。

さて、時宗の話に戻しましょう。
お!量子論とかに結びつけていくんか?と思った人、ごめんなさい。スポーツの話をします。

一遍上人の念仏の話と関連して、前章でカンフー映画の一場面をご紹介しました。
その続きです。

「考えるな、感じろ。月を(無心に)指さすように。」
「指に集中するんじゃない、さもなくばその先の栄光は得られない。」

無心と思考停止はちょっと違うぞ、と思ったお話でした。

「ほえー、さすがワシントン大学で哲学を学んだカンフーマスターは違うわー。かっけえー」とか思っていたのですが、後に一遍上人の言葉を学んで、さらに「ほえーーー」。

一遍上人曰く「月が見えたんなら、もう指でささんでもええやろ(超意訳)」。
「なんじゃそりゃーーー」

一遍上人語録より
又云、菩提心論にいはく、「遇筏達於彼岸法已応捨」と。極楽も、指方立相の分は、法已応捨の分なるべし。

筏に遇って彼岸につけば、筏はもういらない。月の所在が分かれば、それを指し示す指はもう必要ない。極楽を説くのは、彼岸に達するまでのことであり、到達すれば方便の法はまさに捨てるべきである。

(法已応捨 ― 悟り(彼岸)に渡るために教え(法)は必要だが、悟りを得た後は、その教えすらも執着として捨てるべきであるというような意味)

あの当時の若気の至り、映画の月の話と一遍上人の言葉がねじれちゃってますけど、月つながりで、こう思ったのです。
むやみに無心を求めても無心になれない。無心に達したら無心という意識もない。。。
(一遍上人、指いらんて言うし、極楽、捨てちゃってるし。)

その頃の私は、ヨットに乗ることが大好きでした。
ただただ、風と波の動き、ティラー(舵)の手ごたえとシート(帆を操るロープ)から伝わる感触に心を澄ませる。意識せずとも雑念が消えてゆく。心の静寂の中で、風と波の音だけがする。そんな気持ちになれる海が大好きでした。

必要な操作を必要なように行っていく。ただただ、操船している。
夢中とか、熱中とか、集中とか、思考停止とも違う。何というか、ふっと心の雑音が消えた状態。
一流選手の「ゾーン」ほど深いものではないでしょうが、「操船している」という「私」さえ消える。
仲間から「お前、ヨットに乗ってると飄々としてんなあ」とからかわれたりしましたが、私にとっては誉めことばです。
日常の中であれこれ浮かぶ雑念から解き放たれる、あの時間が大好きでした。

そんな背景もあったので、一遍上人のことばが妙に実感を伴って、染みたのです。
「よし、ヨットで彼岸へ渡るぞ」とはなりませんでしたが(対岸アメリカだし)、日々の生活の中で、上人のいろいろなことばが、私の羅針盤となっていきました。

途中、C型肝炎が悪化して長い間海から離れてしまいましたが、かなり回復し始めた今、また海に戻っています。
闘病中も、釈尊の「スッタニパータ」と、「一遍上人語録」は、私の気持ちの支えとなってくれました。

そして、一遍上人の「南無阿弥陀仏」という六字の名号について。
浄土思想の一般的な理解は、阿弥陀仏の本願に任せて極楽往生のために唱える「お念仏」というイメージかと思うのですが、一遍上人は、究極のかたちを示されました。
ひとつずつ引用をすると、どんどん話が長くなってしまいますので、下にざっくりまとめます。
(個人の感想です。)

南無(梵語 namas・帰依・敬礼(きょうらい)・まかせる)

一般的には ―― 「私」が「阿弥陀仏」に「南無」する

一遍上人 ―― 「私」という一人称は消え去り、「阿弥陀仏」と一体、ひとつである

阿弥陀仏

一般的には ―― 「西方浄土」の無量光(Amitābha)・無量寿(Amitāyus)の仏陀

一遍上人 ―― あらゆるところ(場所、もの、現象、私)、すべてひとつ(一遍体・一遍法・一遍証)

私なりの狭い理解で定義すれば、人(仏)格でもなく、存在や情報としての有無(bit)、空値(null)、重ね合わせ(qubit)でもなく、それらも包みこんで離れたもの。そして、この世界・宇宙とその成り立ちや法(dharma)とかも包み込んで、離れたもの。一遍上人からは「定義するなぞ笑止」「あほな考えは、捨ててまえ」と怒られそうな、何か。
「阿弥陀仏」としての「阿弥陀仏」、でしょうか。
そして、そこに至った(一体となった)のならば、方便の「浄土」は必要ない、と。
浄土はすべてに遍在する。

肝炎の治療中だった時の事。
たぶん、肝臓が弱っていて見えた、せん妄でしょう。たぶん。
夕方、暮れてゆく太陽を見ながら、ぼーっとお茶をすすっていた時のお話。
急に、心のスクリーン(?)のようなところに、宇宙のしくみのようなものが現れました。
夕暮れの光景もまだ見えています。
ただ、すべてが振動している。
ことばにしてしまうと、大切な情報が大量に欠落してしまいますが、そんな何か。
「あー、なるほどね」。
何かこの世界のことが理解できたような気がしました。
で、次に、「あーー、いかん! うっかり死んでまったかー! あほやなー、俺。」と焦りましたが、気がつくとまださっきの夕暮れ。
私が「私」に戻った時、さっきの光景は消えていました。
お茶もまだ冷めていません。
インターフェロンでふらふらだった時の、ちょっと変な体験のお話でした。

幻視の話を例に引いて恐縮ですが、「私」という一人称が出てきた途端、見えて(感じて)いたものが見えなくなる。
一遍上人が示された「南無阿弥陀仏」の概念・イメージを、「あー、そんな感じね。(説明苦しそうだけど。)」とわかっていただけたなら、ということでお話しさせていただきました。

「で、それと日常とどう関係するんや。南無阿弥陀仏では給料上がらんやろ」
はい、そうで、いや、もしかすると、上がるかも、しれません。かも。。。

例えば、何か企画があったとします。
チームでそれを進めるとき、往々にして起こってしまうのが意見の齟齬。
強力なリーダーがいたり、極端な力関係の強弱がある場合は別として、「私(私たち)」の意見や都合、「私(私たち)以外の人」の意見や都合、なかなか調整が難しい。
調整がうまくいかないと、ともすれば衝突します。
強引にねじ伏せるか、徹底的に衝突するか、自分を抑えて従うか。時に長期戦。かなり消耗します。
そして、それについての感情は、強弱はあるにせよ、抑えれば抑えるほど、心の奥底でマグマのように沈み横たわります。

猫型ロボットも生成AIも、今のところ、これらの根本的な解決策はなかなか示してくれません。

そこでいっぺん、「南無阿弥陀仏」を思い出してみてください。
口に出さなくとも、一遍上人が勧めた念仏の教えを少しだけ感じて、状況にちょっと落とし込んでみてください。

「私」という一人称と、湧いてくる感情はひとまずその辺に置いて(「私」が正しいと思う事柄から離れて)、意識と視線のドローンを飛ばしてみます。
何が起きているのか、企画の目的地(目標)や理念は何か、それぞれに何を「正しい」としているのか。それぞれが抱える都合は何か。経営の視点では? 全体の景色を眺めるように、ノイズ(雑念)を横にちょっと除けて、状況を眺めてみます。
幾千もの思考のさざ波を眺め、全体を感じてみます。

「私」は、チームの中の私であり、私にとってのチームであり、、、
南無阿弥陀仏。
「私」という殻から出てみます。

状況という一つひとつの波の中で、目的地への航路全体、そのすべてを感じてみます。
譲るべきこと、説得すべきこと、折衷案、第三のアイデア、時にはそこを立ち去ることも。
心の波を穏やかにして状況を感じてみたときに、最適解は現れてくるかもしれません。

チームの企画がうまくいけば、、、。
はい。風が吹けば桶屋が儲かるの一席でした。

一遍上人の前で、こんな話をしたら、後頭部をグーでぶたれるかも、いやちょっと気の毒そうに「南無阿弥陀仏」のお十念をいただけるかもしれません。。。

ご参考までに、自戒も込めて釈尊のことばと一遍上人の和歌をご紹介して、この章を結ばせていただきたいと存じます。

(世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。

スッタニパータ 八七八偈(中村元訳)

となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだ仏

一遍上人

一 遍 上 人 の こ と

浄土に至る道

一遍上人の念仏と究極の浄土思想。そこへ至る道を、その半生とともに考えてみます。

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「捨ててこそ」。
平安時代の念仏聖、空也上人のことばです。
口から六体の仏(阿弥陀仏)が出ている像で有名な、あの方です。
一遍上人は、この空也上人を「吾(わが)先達なり」として深く敬慕されました。
興願僧都という方に、一遍上人が念仏のことを尋ねられ、返事をされた手紙の一節です。

「むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかゞ申(もうす)べきやと問ければ、「捨てゝこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の撰集抄に載られたり。是誠に金言なり。念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切の事をすてゝ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。かやうに打あげ打あげとなふれば、仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず、厭べからず。よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。」

(いろいろな、観念や常識、教えをも捨ててただ唱える念仏こそ本願にかなう。(生きとしいけるもの、ありとあらゆるもの)すべてが念仏である。)

このようにおっしゃいました。
徹底しています。
厳しい。捨て方が徹底している。
この厳しさはどこから来るのか。
私なりに考えてみました。

時は鎌倉時代。
武士の時代です。
一遍上人は、没落しつつあるとはいえ、かつては瀬戸内の海を束ね、源平の合戦で名を馳せた、河野水軍の一族に生まれました。
十歳で母と死別し、仏門に入ります。
後に、大宰府の聖達(しょうたつ)上人のもとで、十二年ほど浄土の教えを学ばれます。
しかし、父の死により、故郷の伊予へと戻り、半僧半俗の武士として生活をはじめますが、一族内の争いにより刃傷沙汰に巻き込まれます。(一遍上人の像の中には、頭部に刀傷のような痕を表すものもあります。)
これをきっかけに、再び出家を決意されました。
信濃の善光寺、伊予の窪寺(現在は窪寺遺跡・窪寺閑室跡、窪野の彼岸花群生地そば)、同じく伊予の岩屋寺で修行されたのち、遊行の旅へと出られます。
― 一遍上人の前半生です。

武士の世、鎌倉。
没落の影が忍び寄る一族。
母との死別。
そして、板子一枚下は地獄の水軍。 ― 十歳で出家とはいうものの、船は身近な存在であったでしょう。
武士の身に戻ってからの刃傷沙汰。命のやり取り。
命のはかなさ、命の危機と向き合い、その原体験を背景に、教義を極限にまで深められていった。
そのように思えるのです。

「善悪の境界、皆浄土なり。外に求むべからず、厭べからず。」
― 浄土は、ここにある。

冒頭の手紙の中に、「ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし」とありますが、もしかすると、故郷の海を思われていたのかもしれません。

次の章では、一遍上人の究極の浄土思想と、その「念仏」についてお話ししてみたいと思います。

浄土、そして念仏

一遍上人の浄土とは、そして念仏とは

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― 浄土は、ここにある。
ならば、私たちは、なぜそこにたどり着けないのか。

「又云、「従是西方過十万億仏土(これより西方に十万億の仏土を過ぐ)」といふ事、実(まこと)に十万億の里数を過(すぐ)るにはあらず、衆生の妄執のへだてをさすなり。(中略)たゞ妄執に約して「過十万億」と云。実には里数を過る事なし。故に経には、「阿弥陀仏去此不遠(阿弥陀仏ここを去ること遠からず)」と説(とけ)り。」

一遍上人語録 七十二より

従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽(これより西方の遥か彼方に極楽という名の浄土がある)。阿弥陀経の一節ですが、一遍上人はこれを、「どこかにあるユートピア」ではない、我々の妄執こそがその距離であると説かれます。
そして、観無量寿経の一節を引いて、阿弥陀仏は遠くにいるのではない、と。
さらに、

「万法南無阿弥陀仏と成ずるなり。(森羅の万法は、南無阿弥陀仏になる、おさまる、あらわれである。)」
「名号は即(すなわち)心の本分なり。是を、「去此不遠」ともいひ、「莫謂西方遠、唯須十念心」ともいふなり」

同 七十二より

阿弥陀仏は万法すべてであり、名号は衆生の心の本分でもある。そして、(唐の善導大師の「往生礼讃」の一節を引いて)「莫謂西方遠、唯須十念心(西方遠しと謂うなかれ、ただ十念の心を須(もち)いよ)」というのだ、と諭されました。

私たちは日々、妄執や雑念の中に生きています。
これを悪だというつもりはありません。生き物として、ある意味当たり前のことだとも思うからです。

諸説ありますが、人類が東アフリカで「人らしきもの(ヒト属)」になったのは新生代第四紀、更新世の頃とされます。
次第に知恵が発達し、現在の私たちへとつながりますが、遺伝子情報は劇的には変化していないようです。
私たちの遺伝子は、原野にいる頃とそんなに変わっていない、と。

遺伝子の使命は、いのちを維持し、つないでいくこと。
眠り、食べ、子孫を残す、自然の営みです。

しかし、幸か不幸か、私たちは知恵が発達しました。
その知恵ゆえ、太古からの自然な営みは、さまざまな欲望へと変質をはじめます。

「たとえば」で、例をあげ始めてしまうと、どんどんこの文が長くなって、きりがなくなってしまいます。
短くまとめるなら、生命を維持しつないでいくのに必要な「欲」は、その源を離れて勝手に進化を始めてしまった、と。

群れの中にあって、「比べる」「争う」「認められたい」「着飾りたい」「集めたい」「もっと食べたい」「楽をしたい」等々々、無数の欲望へと変質し、生きるのに本当に必要なことから乖離をはじめてしまいました。
主従は逆転し、これら「欲望」が私たちを支配しはじめ、「妄執」へと育ちます。
苦の増殖です。
故郷の原野を出た私たちは、いつのまにか妄執に支配されて六道に迷い込んでしまった。

一遍上人も、故郷の原野に戻れとはおっしゃってはいません。
ただ「捨てよ」と。

「何をどう捨てろちゅうんや!今どき全部捨ててふらふらしとったら不審者やし捕まるやろが!」

はい。同感です。

ヒントは一遍上人語録の中にありました。

「又云、念仏の機に三品(さんぼん)あり。上根は、妻子を帯し家に在りながら、著(じゃく)せずして往生す。中根は、妻子を捨つるといへども、住処と衣食(えじき)とを帯して、著せずして往生す。下根は、万事を捨離して、往生す。我等は下根のものなれば、一切を捨(すて)ずば、定(さだめ)て臨終に諸事に著して往生をし損ずべきなりと思ふ故に、かくのごとく行ずるなり。」

で、これに対してある人が「それ順番が逆じゃないの?」と聞くと、

「一切の仏法は心品を沙汰す。外相をいはず。心品の捨家棄欲して無著(むじゃく)なることを上輩と説(とけ)り」

同 四十四より

だそうです。
どんな生活してるかどうかじゃなくて、実際の心の状態をいう。
なるほど。

いやーよかったー。。。 て、いや、よくない。
それ、激ムズのやつですよね。
新宿のど真ん中で、心品の捨家棄欲する。
せめて中村屋のカレーぐらいは食べて帰りたいし。

では、どうするか。
少し整理して考えてみました。

「私」たちの内面は、大きく二つに分けられます。
原野からの遺伝子を引き継いだ、「生物」としての私。
そして、ヒトが人であるという、「人間」としての私。

で、現状。「人間としての私」は、たいてい無意識に「生物としての私」に支配され気味になっています。
しかも「生物としての私」は、「知恵」というオプションでかなり変異し、「妄執」を育てている。
文明が始まって以来、ずっと。

例えば「だるい」「めんどくさい」という感覚。
(言語化する以前の、「あの」感覚ね。)
そして、生物的には、本来はエネルギー消費を抑えて、次に餌を食べられる機会が来るまで生命を維持するという大事な遺伝子信号です。
(ご興味のある方はダニエル・E・リーバーマン『運動の神話』もぜひ)
これは時に、文明を進化発展させる原動力になります。
歩かずにすむ鉄道や車、筆算や算盤を代替したコンピューター。どれも、現在の社会を根底から支えています。
反面、この信号は、人間の知恵で変異して「だりー」「めんどくせー」の妄執と化し、自身の生存の妨げにさえなります。
私を含め、多くの人はたいてい、この信号の取り扱いを誤ります。

これを、理性とか知性、努力などの「自力」で制御しようとしても、なかなか難しい。できる人はごくごく一部。
たいていは、水を買いにコンビニに入って、水とチキンやお菓子を手にして出てくる。
知恵はどこ行ったんや、と。
よーし、それじゃあ思い切って、欲を捨てるために修行しちゃおっかなーと山に籠って滝に打たれてみる。そうすると今度は「修行してる俺って、すげー」と意味不明な妄執で満足してしまう。
妄執増やしにいったんかーい、と。
自分自身の管理者権限は、往々にして「生物としての私」が変異させた「妄執」に乗っ取られてしまいます。

この管理者権限を「私」に移行させるのは、自力では相当の決意と努力が必要。

「他力行」ということばがあります。
「他力」というと、人任せみたいなイメージや誤解がありますが、そうではない。
妄執を捨て、心の断捨離をするために、いっぺん「南無阿弥陀仏」で自分自身に戻る。
そこにごちゃごちゃした理屈をくっつけるな、「捨てろ」。
(はい、すいません。。。)

そして、さらに言うなら、そもそも自分の「管理者権限」は乗っ取られているのか?
すべてを含めてこその「自分自身」ではないのか?
自分を捨て、自分に戻り、すべての自分を統合する。
そして、それこそが「南無阿弥陀仏」であると。

六字名号一遍法 「南無阿弥陀仏」は「一遍法」、すべてを一つに包含する
十界依正一遍体 世界も衆生も、その営みも、この「南無阿弥陀仏」の中にすべてひとつである
万行離念一遍証 あらゆる行が雑念・妄念を離れて名号に帰すること、それが究極の悟り(証)である
それが、
人中上々妙好華 この悟りを得る人は、現世の泥の中に咲く美しい蓮の花である
と。

最後に、一遍上人のことばを二つご紹介して、この章のまとめとしましょう。

自力他力は初門のことなり。自他の位を打捨(うちす)て、唯一念、仏になるを他力とはいふなり。

同 十八より

又云、或人問(とう)ていはく、「諸行は往生すべきや、いなや。亦、法華と名号といづれか勝(すぐ)れて候」と云云。上人答(こたえ)て云、「諸行も往生せばせよ、せずはせず。又名号は法華におとらばおとれ、まさらばまされ。なまさかしからで、物いろひを停止(ちょうじ)して、一向に念仏申(もうす)ものを、善導は、「人中上々の人」と誉(ほめ)たまへり。法華を出世の本懐(ほんがい)といふも経文(きょうもん)なり。又釈迦の五濁悪世に出世成道するは、この難信の法を説(とか)むが為なりといふも経文なり。機に随(したがっ)て益(やく)あらば、いづれも皆勝法(みなしょうほう)なり、本懐なり。益(やく)なければ、いづれも劣法なり、仏の本意にあらず。」

同 八十二より

(二つ合わせた超訳)自力だ他力だごちゃごちゃ言いなさんな。自力でいけりゃそれでいいし、他力でいけるならそれでいいだろ。まずは、念仏せよ。

このページで私が引用した映画のことば。
Don't think, Feel.

歴史の中の時宗の章で
Don't think, Feel — and Say!
としました。

最後に、もう少しだけ、進化させてみましょう。
Don't think, Say!

一遍上人の浄土と念仏のお話。
ちょっと変な住職の、ちょっと変な解説。
個人の感想として、笑っていただけたなら幸甚です。

南無阿弥陀仏

合掌